選挙のたびに若者の投票率の異常な低さが問題になっています。「選挙は国民の義務。時間の無駄とは何事だ。最近の若者は政治への意識が低く、けしからん」という意見をメディアなどでよく耳にします。
ここで若者が投票に行かない理由を考えてみましょう。理由は主に二つ。
一つ目は面倒くさいから。
二つ目は自分の一票で結果が変わるわけがないから。
年配の方には怒られるかもしれませんが、どちらもある意味で合理的に考え方だと思います。若者に限らず選挙に行くには時間を必要とします。家から投票所に行き、投票して帰る、その行動で平均して30分くらいとられてしまうでしょう。
では、その行為によって結果は変わるでしょうか。その可能性は限りなく0に近いです。確率的には、一人の票で結果が変わる可能性は、およそ10万分の1です。
時間をかけてもほとんど意味のない行為、と考えるのはある意味合理的です。
30分という時間に、我々は特に生産的な行動はできず、時間はただ無駄になるばかりです。サラリーマンは平均して時給換算2000円で働いているというデータからすると、投票に行くことは1000円の損です。若い時の時間年を取ってからよりも貴重かもしれません。忙しい若者よりも時間が捨てるほどある老人のほうが投票率が高いのもうなずけます。
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選挙に行くべき理由と反論
それでも選挙にいくべきだというのが、今の日本ではやや優勢です。彼らは盛んに「投票は国民の義務だ」といいます。しかし、投票は国民の義務ではありません。権利なのです。
なので、自分の判断によって撤退することはなんの制度上何の問題もありません。
また、選挙に行くことで政治への意識が高まり、政治についてよく知ることができるから投票は有意義だという意見も根強いです。
しかしこれは正確ではありません。選挙に行くことで政治意識が高まるのではなく、政治意識が高く政治に関心のある人が選挙に行くのです。政治に関心のない若者を無理やり選挙に行かせても、ほとんど効果はないでしょう。
「それでもみんなが自分の利益を考えて投票を放棄したら民主主義は成り立たない」という意見もあります。この意見は正しいです。皆が自分の利益だけを追求したら国全体としてはマイナスです。
これは「合成の誤謬」と言われる問題で、経済学でよく問題になります。
「貯蓄のパラドックス」という有名な話があります。例えば、ある人が貯蓄をはじめるとその人は資産が増え、豊かになります。しかし皆が同じことをやってしまうと、国全体で金回りが悪くなり、経済は停滞して、豊かさが減ってしまいます。
個人の利益を追求するかわりに全体の利益を減らしてしまうことは選挙と同じ仕組みです。
選挙に行くことで生まれるメリットは、投票したことへの満足感と、わずかな選挙結果への影響のみというのが現状です。
選挙に行ったら負け、にしてはいけない
しかしこのままでは、国全体にとってマイナスです。少しでも投票率を上げるための解決方法として考えられるのは、選挙に行くメリットを増やすか、選挙に行くコストを減らすことです。
選挙に行くメリットを増やすには、選挙に行かなかった人に罰金を科すことが有効でしょう。選挙に行った人が損をしないためには、強制的に生かせるのが言ってです。
実際オーストラリアでは罰金制度が導入されており、投票率は90%を超えています。投票率が上がることで、国民の政治への関心は高まります。さらに、組織票の効果が薄れ、政治家と企業の癒着が減ることも期待されます。
もう一つの解決方法は、インターネット投票の実施です。インターネットを使い、どこでもわずか1分程度で投票できてしまえば、投票率の増加も見込めます。
それに伴い、人々が時間を有効に使えるのは大きなメリットです。日本の有権者は約1億人。そのうち半分の人が30分かけて投票しに行くとすれば、2500万時間が選挙に費やされているということになります。先ほど1時間は2000円の価値があるといいましたが、それに当てはめると、国全体で選挙一回で500億円の損失です。
紙の選挙では、事務的コストも膨大にかかるためネット投票の導入で社会的コストを抑えられます。
考えてみれば、これだけインターネットが普及しているのに選挙にほとんど導入されていないこと自体おかしな話です。
年配の政治家や有権者がインターネットに弱い傾向があるため、政治家はインターネット投票の導入による、支持基盤の喪失を恐れているのが実施を妨げる一つの要因です。
選挙は国民全体のためにやるものなのに、一部の利権を守ることが優先されては本末転倒です。いち早く新しい制度を導入し、選挙に行くメリットが大きくなるような世の中になってほしいと思っています。